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代表挨拶

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新時代を“いきる力”を養います!
子どもたちの可能性を信じる進学塾

代表 長島 清孝

初めまして。代表の長島です。

“すぐに役立つものは、すぐに役立たなくなる。”

黎明進学会は私が塾講師として働いてきた当初からの指導理念の集大成として、「令和」新時代の開始とともに開校しました。

ベネッセの調査によると、現在の中高生が22世紀を生きる確率は35.8%だそうです。私自身「21世紀は君たちの世代だから頑張れよ!」と励まされてきましたが、今の学生たちは22世紀という未知なる世紀を意識しなければならないのです。

令和、そして22世紀という「新しい時代の始まり」を生きる生徒たちの力になりたいとの思いから、校名を「黎明進学会」と名付けました。

「受験勉強」が苦痛だった高校時代

私、長島は小学生の時分からずっと勉強が大好きでした。夏休みの学習ドリルは夏休みが始まる前に終わらせ、プラスアルファで何かを勉強したいと思うような、周りから見れば「変わった子」だったかもしれません。両親から「勉強しなさい」と言われるようなことはほとんどなく、「ただ知りたいから」「勉強が楽しいから」という理由で中学でも、また静岡高校に入学後も勉強を続けてきました。

ところが高校2年生になって事情が変わってしました。高校の先生たちがことあるごとに「大学入試」という言葉を口にするようになったのです。

「こういう問題は大学入試によく出るぞ」

「大学入試に合格するためにはこのくらいは知っておきなさい」

それは進学校である以上、仕方がないことだったのかもしれませんが、私にとっては勉強の目的を小さく狭いものに制限されたように感じました。高校での勉強がひどく退屈なもののように思えてしまったのです。

ある先生との出会い

そのような「受験勉強」に対する嫌悪感を感じながら3年生に進級しました。周りも受験一色になり、学校の授業をそっちのけにして参考書を読みこんだり、問題集の問題を解いたりする生徒も出てきました。当時はひどく毎日が退屈で、高校に通う意味などについて自問自答したものでした。

そのような折にS先生に出会いました。S先生は国語科の先生で、私たちには現代文を教えてくださいました。非常に厳しい先生で、指名した生徒を起立させ、鋭く答えにくいような問いをいつもなさいました。安部公房の小説を読みながら、「幸福とは何か」であったり、「幸福であることは良いことなのか」であったり、さまざまな議論を生徒たちにさせたのを今でも覚えています。

圧巻は『舞姫』(森鷗外)の授業でした。冒頭の「石炭をばはや積み果てつ」を取り上げ、「なぜこれが完了の助動詞『ぬ』を用いた『積み果てぬ』ではなかったのか」ということや、「ゆらめくランプの炎は何を表しているのか」といった事柄について、深く教えてくださいました。

いや、厳密には教えてはくださいませんでした。自分で、自分たちで考えさせ、最後に結論をまとめる。そのような授業の展開をなさっていました。

2学期の中間試験のことです。S先生の問題は至ってシンプルで、一通りの問いのあとに一言、「森鷗外が『舞姫』を通じて訴えたかったことは何か。各自自由に述べよ。」というものでした。このとき私には『舞姫』を通読して腑に落ちない点が一点ありました。――主人公の豊太郎の母親の死があまりにも唐突であった点です。

その疑問点にふと思い至ったとき、2か月かけて『舞姫』を講義されたS先生の一連のお話が、頭の中を駆け巡りました。そして試験の短い時間の中でそれらがつなぎ合わさり、この唐突な描写に対して私なりの一つの解釈が出来上がりました。

「『舞姫』を通読して腑に落ちない箇所が一か所ある。それは豊太郎の母親の死があまりにも唐突であった点だ。これは本文の顛末を考慮すると×××××だと解釈できる。以上より鷗外は『舞姫』を通して〇〇〇〇〇を訴えたかったと考える。」

私は以上のようなことを答案に書きました。(×××や〇〇〇に入る内容は、ぜひ各自でお考え下さい。)

結果、私はこの問いに対して学年で唯一満点をもらえたのでした。

教師との出会いが人生を変える

以上の話で「どうだ、私はすごいだろう!」と言いたいのではありません。私自身、試験中にどうしてこの解釈を作り上げることができたのか、未だに謎なのです。

しかし今振り返ってあえて理由をつけるならば、S先生の受験指導だけに留まらない指導、さらに言えばS先生の「受験指導だけでは終わらせたくない」という思いが、私の心を捕らえたからなのだろうと思うのです。

S先生は既に退職されており、連絡も何年も取ってはおりませんが、「受験のためだけに勉強したくはない」という私の考え方を、強く支えてくれたかけがえのない恩師です。

教育制度は変えられない

昨今、大学入試制度の改革をめぐって混乱があったり、懸念が表明されたりしています。私は時代の変わり目である以上、ある程度は仕方がないことだと思います。しかし本当に問題なのは、制度の変遷に振り回されて「慣れ」や「適応」を求めるあまり、高校での授業で本来目指すべき授業内容が失われたり、損なわれたりすることなのではないでしょうか。

「高等学校の予備校化」が進みつつあるように感じられる昨今。私は私教育の立場から大学入試だけに留まらない授業や指導を行いたいと決意しました。大学入試で正しい解答をマークしたり、高得点を取る技術を教え込むのは簡単ですし、事実「塾」というものはそうあるべきなのかもしれません。私自身も画一化・単一化されたテクニックやメソッドを教えた方が効率的だと思うこともあります。

しかし、テクニックやメソッドに終始する生徒は、結局大学に入ってから苦労するのもまた目の当たりにしてきました。今や画一的なテクニックなど、AIをはじめとするコンピュータの方が正確であるからです。

「学ぶ姿勢」次第で教育は変わる

10代の大事な時間を受験勉強に費やすのならば、苦労して大学に行くのならば、大学でも社会でも通用するようなたくましい思考力をもった生徒を育てたい。平成の最後、令和の最初に、私はこう強く思いました。

模試や通知表の数字で悩んでいる生徒も、目先の利益にとらわれず、じっくりと学習することで、最後には結果が伴うと信じています。また「数字」が良い生徒に対しても、大学で学ぶ知見を「味見」してもらうなどすることで、その考えを深めることができると信じています。そして、私は生徒たちの「学ぶ姿勢」の尊さを心から信じています。

黎明進学会は大学入試の「その先」を見据えています。

21世紀の「その先」に向けて、ぜひ一緒に勉強しましょう!!

 

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